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医療の勝利はどこにあるのか

トビタテ!留学JAPAN

「劇的救命」という言葉がこの業界には存在する。日本を代表する救急救命医・今先生が掲げる「絶体絶命の患者も救ってみせる」という彼のチームポリシーだ。急性期医療は華々しい(瞬間もある、くらいが現実的なところ)。医師が何もしなければ、死へ向かっていく人々を医学という武器でこの世へ引き戻す。僕自身もこの短い病院実習の中で、生死を彷徨う人がこちら側へ帰ってきてくれた瞬間に触れることが幾度となくあった。そして命を守り、病気を治すことこそが医学の勝利だと信じるようになった。

だから、つい最近まで慢性期の症例に興味を持つことが出来なかった。希望を持てず見ているのが辛かった、という方が正確かもしれない。今思うと第三者が他人の未来に勝手に希望を持てないなどと言って感傷的になるのは失礼極まりないのだが、正直に言うと、確かにその時僕はそう感じた。患者さんが病院なって入院すると家族の生活も一変する。子どもの入院に伴って一緒に病院に泊まりこむお母さん達の顔にも疲労の蓄積が伺えた。重い障害を持つことになってしまった父親を呆然と見つめる家族がいた。そういう人たちに医学が出来ることはなんなのか。命を守ることは出来たが、病気を治すことは決して出来ないし、もとの生活をさせることすら出来ない。医学の敗北だ。とずっと思っていた。そして、この敗北感を味わうことの多い診療科を無意識で避け続けていた。

しかしある日、回診をしていると、普段は何を考えているのかはかりかねるくらい重い障害を持っていた患者さんが突然笑顔を見せてくれたのだ。すると、看護に疲れきって、表情に乏しかった家族も、笑顔になった。私達も笑顔になった。その瞬間、身が震えるような感覚に襲われた。自分は間違っていたと気付かされた瞬間だった。医学はこの瞬間のためにあるのだ、と。病気になっても、障害を持っていても、幸せを感じるその瞬間のために。自分の中での「医学の勝利」を見なおした今、自分がどのように貢献出来るのかを改めて考えなおしたい。

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