スポンサーリンク

Nudgeにまつわる倫理的論争②

ブログ

前回までの流れ

前回の記事ではナッジに限らず、公衆衛生施策の中で自由がどのように捉えられ、どのような倫理的観点から評価されるのかという点について解説しました。

Nudgeにまつわる倫理的論争①
Nudgeの概念が公衆衛生業界に広まったのと同時に、倫理的論争が巻き起こりました。 Nudgeとは何かについては以前の記事をご参照下さい。 論争の的は「人間の選択の自由を侵害していないか」という点です。 N...

今回は、ナッジにまつわるどのような批判があり、ナッジを適切に運用するためにどうすれば良いのかについてまとめていきたいと思います。

この問題に関しては日本の環境省のナッジユニットBESTでも論点として取り上げられており、今後もナッジにおける主要な議論の1つになるものと考えられます。

 

Nudgeに対する倫理的批判

これまでナッジにおける倫理的考察は様々な論文で取り上げられてきました。

それらの中でもHealth Promotionに関する話題が整理されており、個人的にも納得感があったのがBart Engelen氏による”Ethical Criteria for Health-Promoting Nudges: A Case-by-Case Analysis”という論文です。

https://doi.org/10.1080/15265161.2019.1588411

彼は論文の中でナッジに対する倫理的批判を

  1. ナッジの目的に対する批判
  2. ナッジの手段に対する批判
  3. ナッジの行為主体に対する批判

の3つに分けて論じています。

今回はこの論文の筆者の考えを簡単にまとめながら紹介したいと思います。

目的に対する批判

批判の内容

多くの場合ナッジは「より良い行動を促進するため」に政府や介入者により実施されます。

でもここでいう「より良い行動」というのは誰が定義するのでしょうか?

政府や医療従事者が他人に対して「より良い行動」を押し付けることは適切なのでしょうか?

世の中には健康になりたくない人だっているかもしれません。そういう人に「より良い行動」を促すことは適切なのでしょうか?

 

前回の記事でも触れましたが、このように「より良い行動」を政府や権力者が定め、それを促していくような考え方を父権主義と言います。

時代が変われば常識も変わります。戦時中の価値観と現代の価値観は大きく異ることからもこれは明らかです。果たして権力者が何が「より良い行動」なのかを定めることは適切なのでしょうか?

 

この問題に対して著者は「目的に対する父権主義」と「手段に対する父権主義」を分けて考えるべきであると論じています。

(個人的にはこの考え方を思いつく筆者の頭脳に感動しました。)

 

目的に対する父権主義とは先に述べたように「より良い行動」は何かを権力者が定めるようなアプローチです。

それに対して手段に対する父権主義とは、予め当人が定めたゴールを達成するために取るべき手段を定め提供するようなアプローチと考えるとわかりやすいかもしれません。



例えば大学は手段に対する父権主義的な場と言えるでしょう。

自分のなりたい将来像に合わせて大学に入りますが、内部では何を勉強するべきかカリキュラムが組まれ、ある程度の強制力を持って様々な課題に取り組まされます。

それに対して、お金を稼ぐ、研究者になるといったゴールを勝手に設定されることは(少なくとも表向きは)ないので目的に対する父権主義ではないと考えられます。

 

筆者はナッジによる介入は目的に対する父権主義ではなく、手段に対する父権主義的なアプローチであるべきだと論じています。つまり価値観を押し付けるのではなく、個人の価値観を実現するための手助けをするために用いられるものなのです。

具体的には人々が自分の目標に達成する手段を知らなかったり、間違えて認識している場合、モチベーションを保つのが難しいときなどにナッジを使うことに正当性があると考えられます。

例えば、

  • 痩せたいと思っているが、フライドポテトは野菜なので太らないと信じている。
  • 運動を毎日したいが、続けられない。

といったような状況が当てはまります。

つまり「頭では分かっているけど行動に移せない人」「目標は持っているが、やり方が間違っている人」が適切な対象と考えられます。

その一方でナッジは集団を対象にした介入であることがほとんどのため、誰が何を望んでいるのかを介入者が完璧に把握することは不可能ですし、それぞれの目標に応じて個別化されたナッジを提供することも現実的ではありません。

したがって手段に対する父権主義的なアプローチにも限界があると考えられます。


倫理的観点からの改善方法

上記でも説明したとおり、この論文の筆者は目的に対する父権主義を支持しています。

つまり目標を達成したくても出来ない人を支えるべきという考え方です。

人々がモチベーションを保つのが難しいことを認識していたり、自分自身が怠惰であることを理解している場合には、他人から行動を維持するための支援を受ける事に同意を得やすいと推測されます。

しかしどのように人々の意思を確認すればよいのでしょうか。

具体的には意識調査、アンケート調査などを行い現状を的確に把握することや、投票を行ったり、介入を受ける人々の代表者をナッジの計画立案に巻き込むなどの方法があります。

これらを実現するために筆者は以下の4つの指針を示しています。

  1. 目的に対する父権主義なナッジであり、人々の目標に関する情報に基づいたものであること。
  2. 対象者の多くから賛同されていること。
  3. 他の目的を持っている人が容易に逆らえる介入であること。(Opt-outが保証されていること)
  4. より大きな健康上の利益をもたらせること。



手段に対する批判

批判の内容

人々の行動をナッジすることにより、人々の意思決定を操作し、自由や自主性を侵害しているという批判がこれにあたります。

本来であれば中立的な情報提供を行い、自律的な意思決定を支援するべきところを、仕掛けを使って思考をバイパスさせているという点を問題と捉えています。

ナッジは人間の理性的な思考能力を尊重しておらず、意思を操作していることから、本人の求める結果につながらないという考え方です。つまり、人の行動を操作している以上は、その当人が望むことを純粋に達成させることは不可能であると解釈出来ます。

 

倫理的観点からの改善方法

そもそも上記の批判が妥当なものかを吟味する必要があります。

ナッジが人々の意思を操作し、自主的な意思決定を妨げているとの批判ですが、そもそもナッジがなければどうなるのでしょうか。人々は真に”自主的”な意思決定をすることが出来るのでしょうか。

人々が認知バイアスや感情などにより、理性的な意思決定が出来ないことはこれまでの様々な行動経済学の研究から明らかです。ナッジがなくても、他の要因の影響を受けて理性的な意思決定が出来ないのです。

一方で、トレーニングなどにより認知バイアスや感情による影響をある程度は低減出来るかも知れないという考え方もあるようです。

筆者は以下の4つの指針を示しています。

  1. ナッジが情報提供や説得といった手法よりもより健康上の利益をもたらすというエビデンスがあること。
  2. 可能な限り人々の理性的な思考回路を尊重し、これらが十分に機能する場合や簡便に補完できる時にはそちらを優先すること。ナッジは、こういった理性的な思考回路が上手く機能しないシチュエーションでより正当化される。
  3. 健康であることが自主的な意思決定の前提条件であるという考えから、健康維持により長期的な自律性を確保するという利益が、短期的な自律性への干渉に対する損失を上回る場合はよりナッジが正当化されうる。
  4. そもそも熟考するモチベーションが低い意思決定ではナッジはより正当化されうる。(例:昼ごはんのメニューはより自動化された思考で問題がないが、がんにおける治療の選択は熟考の上で決定されるべき。)



行為主体に対する批判

批判の内容

行為主体に対する批判としては、誰が行動を操作しているのかということを問題視しています。

たとえ目的や手段が正当であってもその行為主体によっては倫理的問題が生じうると考えます。

ここでは、

  • 認知バイアスや自然と存在するナッジによる不合理な意思決定が存在すること。
  • 行為主体が意図を持って認知バイアスやナッジを利用して意思決定を誘導すること。

を明確に区別をします。

ここで問題となるのが、意図的にナッジを利用することで、ナッジを設計し実施する行為主体の思惑によって人々の行動がコントロールされてしまうのではないという点です。

どのような行動を推進すべきかという事が他者の思惑によって決定されてしまうことに警鐘を鳴らしています。

たとえば医師が治療方法AとBを患者に提示する際に、無意識な言葉の選び方によって患者の行動を変化させてしまうことは仕方ありません。

しかし医師が自分の思い通りに物事を進めるために、意図的に言葉の選び方を変えるとどうでしょうか。

たとえ目的が正しく(患者の利益のため)、正当な手段(出来る限り知識を提供した上で)行ったとしても、「他人が意図的にコントロールをしている」という問題が生じます。

倫理的観点からの改善方法

この点についてはナッジされる側とナッジをする側双方の信頼関係が重要であると筆者は述べています。信頼関係が構築されていない政府によるナッジは薄気味悪く感じてしまうのが人間の性です。

具体的な内容の正当性がどうかなどについても容易に疑念が生じるでしょう。

一方で、信頼関係のある人や組織からのナッジであればより受け入れられやすいと思われます。



この点を踏まえて筆者は以下の指針を提示しています。

  1. ナッジされる側とナッジする側の信頼関係が構築されており、ナッジされる側の大半が介入されることに賛同していること。

まとめ

ナッジにまつわる倫理については現在ホットトピックとなっており多種多様な議論がなされています。一方で健康分野におけるこのような倫理的議論はまだ多くありません。

実務家にとって倫理的課題は忘れがちな問題ですのでこういったまとめの記事が参考になれば幸いです。

次回以降も他の論文や、ガイドラインなどを紹介していければと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


コメント