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人間の思考の限界(限定合理性)を考える。

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はじめに

医療分野で行動経済学の応用がホットトピックになるにつれて、ナッジやインセンティブといった手法や、時間割引率・アンカリング効果といった概念について馴染みのある医療従事者が増えてきているように思います。
一方で「行動経済学=心理バイアス研究そのもの」といった誤解も広まっているようです。
行動経済学は心理バイアス研究などの知見を取り入れた上で、伝統的経済学に依拠したモデル構築をしている「経済学」の学問です。

 

こういった背景もあり、行動経済学の理論的なバックグラウンドを自分なりに勉強しながら紹介するのも良いかと思い、行動経済学理論に関する記事を書いてみることにしました。

 

今回は行動経済学の中でも重要な「限定合理性(Bounded Rationality)」について紹介してみたいと思います。

 

人間が常に合理的思考をできるわけではないことは、医療従事者なら誰もが経験として知っていることでしょう。
栄養や健康についての知識もある医療専門職が、痩せたいと言いながら飲み会後にラーメンに行ってしまうなんてことは日常的な光景です。
合理的思考とは何か、合理的思考が限定されるとはどういう意味なのか考えてみましょう。

 

合理的であるとは何か

伝統的経済学では自らの満足や効用(=自己利益)を最大化するために行動する「ミスター合理主義」の主体がどのように市場で振る舞うかを分析します。
この架空のキャラクターであるミスター合理主義くんこそが経済人なのです。(Homo SapienceをもじってHomo Economicusとも呼ばれます。)

しかし「合理的である」とは具体的にどのようなことをいうのか、という点については多くの経済学者が複雑な議論を重ねているところであり、この記事ではあまり深掘りしないこととします。

とはいうものの何も書かないのも不親切なので「合理性」という言葉のもつ文化的背景と、限定合理性の生みの親であるSimonの議論を少しだけ取り上げることにします。

 

合理性(rationality)とはラテン語で根拠を示す「ratio」が語源であり、合理性とは根拠を持っていることを表しています。
この背景にはキリスト教圏において信仰される全能神を想定し、「合理的な決定を2つの異なる種類の前提、すなわち価値前提と事実前提が完全に与えられれば合理性にかなった決定は唯一つである。(1)」とする考えが潜んでいるのではないかとも考察されています。

難しくなってしまいましたが、合理的であるとは「神」の視点であるとも言えるようです。

限定合理性の概念を提唱したSimonは
「客観的合理性とはa)行動する主体が決定に先立って全ての行動の選択肢をパノラマのように概観し、b)それぞれの選択肢を選んだ場合に起こると思われる結果全体を考慮し、c)全選択肢の中から1つのものを選択するという価値基準のシステムの3点を満たす主体の行動(2)」

であるとしています。

つまりは全ての選択肢とその帰結を完璧に予測した上で、最も自己利益がえられる行動パターンを選択するということですね。


 

なぜ人間は合理的思考ができないか

ではなぜ人間は合理性に欠いた選択をしてしまうのでしょうか。
ヒトコトでいうと、神ではないからです。
先程のSimonの定義に沿って見てみましょう。

 

a)全ての行動の選択肢を概観する。

→人間が持つ情報・知識は断片的であり、全ての行動の選択肢を列挙することなどは不可能です。
経営コンサルタント業界ではもれなく重複なく(MECE)すべての可能性を列挙することが基本とされますが、それが誰でも完璧に出来れば彼らの仕事はありませんし、おそらく一流のコンサルタントとも本当の意味でのMECEなど出来ていないでしょう。

 

b)それぞれの選択しを選んだ場合の結果を予測する。

情報・知識が限られるため予測が困難なのは前述の通りですが、人間の思考能力には限界があります。
思考には階層があると言われていますが、人間は思っているほど深く考えることが出来ないようです。
これに関する研究データを後ほど紹介します。

 

c)全ての行動から1つを選択する。

まぁ人間が思いつくのはせいぜい数通りが限度でしょうし、「面倒くさい」などの感情の影響も受けてしまうので利益を最大化できる選択ができるとは限りません。

これらの人間の能力的限界や情報入手・処理の限界によって制限される合理性を限定合理性と呼びます。

 

人間は深く考えるのが苦手:実験結果

人間の思考能力の限界を示した経済実験として数当てゲームという有名なものがあります。(3)

ルールは極めて単純です。
参加者は0-100の数字から好きな数字を選びます。
投票された数の平均値Xにpをかけた数字(=pX)に最も近い数字を投票した人が賞金を獲得することが出来ます。
賞金獲得対象者が複数いる場合には賞金を等分することになります。

p=1/2と設定された場合
皆さんならどの数字を書いて投票するでしょうか。

もし参加者が何も考えずに数字をランダムに選んで投票するならばX=50となるはずです。
するとpX=25となるので25に投票するのが良いでしょうか?

しかし、冷静になって考えてみてください。
まわりの参加者が同じ思考回路をしているとすると平均値Xは25になるので、pXは12.5になりますよね。
ということは12にでも投票しましょうか。

いやいやそこまで全員が思考を進めていたと仮定しましょう。
すると平均値Xは12.5になるので、pXは6.25です。
6に投票するのがいいでしょうか。

ここまで来るとお気づきの方も出てきたと思いますが、周りがどのくらい深くまで考えているかを思考に入れると、思考のステップをyとすると、

賞金を稼ぐには
$$p^y*X$$
に投票すれば良いことになります。
まわりの参加者の全員がミスター合理主義くん/ミス合理主義ちゃん(Homo Economicus)であると仮定すると思考のステップを瞬時に無限まで繰り返すことができるので

$$\displaystyle \lim_{ y \to \infty } p^y*X = 0$$
$$(p<1)$$

と収束します。
参加者全員がHomo Economicusであると仮定すると、全員で0を選んで賞金を獲得するのがもっとも合理的な選択肢(ナッシュ均衡)となります。

実際の研究結果では1回目に選択された数字は
p50とp^250の間におさまりました。
つまり大部分の参加者は思考ステップの1段階目と2段階目の間にいたようです。
pを固定したまま同じ集団でこのゲームを繰り返すと、繰り返すごとに参加者の選ぶ数字はどんどんと小さくなっていくことが観測されました。



この実験結果に対して2つの教訓が得られます(4)。
第一に合理的思考においては0が最も妥当な選択肢となりましたが、実際に0を選んでもゲームに勝つことは出来ませんでした。
Homo Economicusは自らの利益を最大化するように行動を選択しますが、限定合理性をもった普通の人間があふれる現実世界では利益を得られないのです。
「合理的」に行動した結果、目的である利益を失ってしまうので全く合理的でない結果になってしまうのです。

第二に人間は無限に思考を瞬時に進めることなど不可能であり、せいぜい第一段階〜第二段階の間に収まってしまう人が大半だということです。

人間の思考には限界があり、合理的でない選択をしてまうのが普通のことといえるかもしれません。

 

最後に

医療業界で行動経済学・行動インサイトの知見を広めたいという思いでブログをはじめて半年ほどが経ちました。少しずつ行動経済学の理論や中心となる概念を勉強しながらまとめてみようという試みで今回の記事を書いてみました。
行動経済学の専門の先生方からすると稚拙な部分も目に付くと思いますので、気になる箇所があればご指摘・ご教示頂ければ幸いです。
何卒よろしくお願い申し上げます。

 

引用

1)サイモンの「限定合理性」の持つ意味と意義. 田中 俊也, 北野 朋子, 2010.
2)Administrative Behavior. Simon HA, 1997.
3)Unraveling in Guessing Games: An Experimental Study. R Nagel, 1995.
4)行動経済学 伝統的経済学との統合による新しい経済学を目指して. 大垣昌夫・田中沙織,2014.

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