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人はいつか必ず死ぬということ。

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フルタイムで臨床にいたころ、僕の友達はほとんどが医師だった。
飲みに出かけるのは、いつもきまって病院の同僚や先輩・後輩の医師達だった。
時折、他の分野に進んだ友人が僕の住む街にも訪ねて来てくれることもあったが、予定が合わないことも多く、実際に彼らに会ったのは片手に収まるほどの回数だけだった。



ところがフリーランスになって「同僚」とか「職場の付き合い」というものが突然消え去った。
もともと友人が多いタイプではないが、ここ最近遊びに行く相手のほとんどが非医療関係者に変わった。
戦略コンサル、外資投資銀行、有名メーカー、官公庁等、様々な分野で仕事をしている彼らと話していると違った視線で世界が見えてくる。
そして容赦なく「医療」についても考え直させられるのだ。

「医療の次のイノベーションは何か。」

という質問はよく投げかけられる。

彼らが期待しているのはおそらく

  • 人工知能(AI)による自動診断
  • 遠隔診断・遠隔治療
  • 不治の病を治す新薬の上市

といったきらびやかな回答なのだろう。

こういったイノベーションが患者のもとに届くには長い時間を要するということは知っているし、
何より医療現場に身を置くと、医療には常に副作用や侵襲性があり、一人ひとりの患者にとっての「利益」というものは極めて多様で、「治療」が常に最善の解決策とは限らないことを痛いほどに感じていた。

そんな思いがとりとめもなく脳内をよぎり
僕はあえて場違いで空気のよめない返答をした。

「医療の次のイノベーションは人間はいつか必ず死ぬという事実を受け入れることなんじゃない?」

大体の人は困ったような表情を浮かべた。
それでも僕は言葉を続ける。

「医療技術の発展は確かに凄まじくて、多くの人を病気から救ってきた。
でもそのお陰で世間は医療をなんでも治せる魔法かなにかと勘違いしはじめている。

医療は毒を以て毒を制するという一面がある。
治療しても上手く効かない人もいるし、副作用にだけ苦しむ人もたくさんいる。

リスクに延命効果が見合わない人だっている。
そういった事情を勘案すると「積極的に治療しない」という選択肢が最適になる場合も時にはある。

そんな時、僕は「人間はいつか必ず死ぬ」ということを患者さんやご家族に思い出してほしいと思う。

生きている以上は必ず死に向かって進んでいる。

その中で治療自体を目的化して生きるべきじゃないと思うんだ。

より良く生き、より良く死ぬため医療を使ってほしい。

人間である以上は、いつか必ず死ぬはずなのに平均寿命を超えた人たちでも驚く程に「死に方」を考えていない。
自分がどうやって最期を迎えたいのか考えている人は少ないし、
たとえ本人が考えていたとしても、それが家族で共有されていないことも多い。

その結果、何か急変したときにありったけの医療を求めることになる。
極論だけど、人工呼吸器をつないで体外循環を回せばある程度は人間の命を維持することはできる。
けれど、それがその人の望んだ最期のあり方なんだろうか。

90歳のおばあちゃんが自宅で心肺停止状態になっていたときに
「おばあちゃん今までお疲れ様。いい人生だったね。」
と優しく声をかけるかわりに

肋骨をボキボキに折りながら心肺蘇生術を施すことが、

そのおばあちゃんの望む死に方だったのか、僕にはよくわからない。

そして死に方を考えてこなかった人たちが病院に運ばれてくる度に
違法な長時間労働で疲弊した病院のスタッフが呼び出される。
そして多くの医療資源が投下されることになる。

もちろんこの場で医療を施すことによって「良い生き方」あるいは「良い死に方」を提供できるのなら、医療職冥利に尽きるだろう。
でも実際はそうじゃないことが大多数だ。

どうして病院につれてきてしまったのだろうと涙を流す家族だって少なくない。

だから、
だから、
僕は次の医療のイノベーションは「治療する」ことばかりを考えないで「いい死に方」を考えることなんじゃないかな。
イノベーションというよりはパラダイムシフトといえるかもしれない。

これは必要な医療を差し控えるという意味ではないんだ。

ただ、自分の生き方という軸を持った上で医療を上手く活用してほしいという話なんだよ。

医療はこれからもっと治療ではなく予防とか死の創作とか病院外の問題に取り組んでいくことになると思う。
Advanced Care Planningという概念も出てきているけど、まだまだ医療現場に浸透しているとは言い難いし、「病院」という場が主導すべきなのかも疑問に感じる。
予防ももちろん大切なんだけど、年間死亡者数のピークが来る2040年頃までは「死に方を考える」「いつか死ぬという事実を受け入れる」という課題に対してはもっと真剣に取り組まなきゃいけないんじゃないかと思っている。」




まとまらない思考を垂れ流すように話しても耳を傾けてくれるのが、友人のいいところだ。

「医者やってるとなんか感覚が変わるんだね。俺、死に方とか一回も考えたことないもん。ばあちゃんのことすらも。」

彼の反応は若者としては極めて自然なものだと思う。
でも生きている以上は常に死に向かっているのだ。

若すぎる死にも当然何度も立ち会った。
その経験をしたあと、僕は「遺言書」をしたためた。
ずいぶん萎びた若者だと自分でも笑ってしまったが、自分に言い聞かせた。

「人はいつか必ず死ぬのだ。そしてその時はいつやってくるのか分からない。」と。



コメント

  1. M より:

    公衆衛生を学んでいる者です。
    わたしも常々Kさんと同様の意見を持っていました。
    より長く生きることより、目の前の人を死なせてしまわないことより、よく死ねること。そういった人を増やすこと。これらを追求するために広く社会が、そして医療の現場が変化して行けば、日本の未来は厳しくも、私達は光を持てるのではないかと心ながらに思っています。

    • K K より:

      コメントありがとうございます。
      おそらく変わるべきは医療現場そのものよりも広いところにあるのかなと思っています。
      一人ひとりの心のあり方というと漠然としすぎていますが、社会に向けたアドボカシーが必要と考えています。