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Nudgeにまつわる倫理的論争①

Nudgeの事例紹介

Nudgeの概念が公衆衛生業界に広まったのと同時に、倫理的論争が巻き起こりました。

 

Nudgeとは何かについては以前の記事をご参照下さい。

論争の的は「人間の選択の自由を侵害していないか」という点です。

Nudgeに関する論点をまとめる前に、まずは公衆衛生全般に関わる倫理的論争について見てみましょう。

 

積極的自由と消極的自由

公衆衛生という分野は選択の自由と個人・集団の利益の保護とのバランスを保ちながら発展してきました。

 

権利は国家が個人に対して保障するのもですが、そもそも人々が持つ権利にはどのような種類があるのでしょうか。

おおまかには積極的権利と消極的権利に分類することが出来ます。

積極的権利は国家が個人に対して何かを積極的に与えるものです。

選挙権や裁判を公平に受ける権利、最低限の文化的生活を営む権利などが該当します。

消極的権利とは国家が個人に対して干渉しないことを保障するものです。

信教の自由、言論の自由、身体の自由などがこれに当たります。

それでは自由が健康政策にどう関わるのかを見てみましょう。


自由主義と父権主義

 

国家に干渉されない権利(=自由)は特に米国では非常に重要視されており、健康を含めた行動に対して個人が決定権と責任を持ちます。

このような考え方を自由主義と言います。

 

自由主義者は個人の選択に対して裁量を持つことを大切にしています。

タバコを吸うかどうか、フライドチキンを食べるかどうか、診断された病気に対して薬を飲むかは自分自身で決めるものであって、政府や医師からどうするべきか干渉されることを良しとしません。

またその選択の結果に対して、自ら責任を負うというのが基本的なスタンスです。

 

しかしある一定の条件下では国家が個人の自由な決定に干渉することが認められています。

具体的には

①他人に害を与える場合。(予防接種の義務化、感染症の強制隔離、公共施設での分煙)

②他人を攻撃する場合。(ヘイトスピーチの禁止、国旗を燃やす行為の禁止)

③自分に害を与える場合。(栄養教育、砂糖税の導入、運動指導)

などが挙げられます。

 

このうち③のように自分に害を与える場合には、健康になることが利益であるという仮定のもとで積極的に政府が個人の利益を確保するために介入を行います。このような考え方を父権主義と言います。

父権主義では、個人の知識や判断力には限界があり人々を政府が正しい方向に導くために積極的な施策を行う必要があると考えます。

タバコを吸っている人がいれば、禁煙教育をおこなったり、喫煙しにくい環境を整備することによって人々の健康を守る必要があるというのが基本的な考え方です。

 

しかし、あくまでも全ての人が個人の健康や行動に対して国家に干渉されない権利を持っており、一定の条件を満たす場合にのみ特別に国家が介入を行うというのが基本です。

 

公衆衛生の三大倫理原則

自由の尊重以外にも公衆衛生介入を行う際には検討すべき倫理原則があります。

一般的には

①善行・無危害の原則 (The Principle of Beneficence)

②自立尊重の原則(The Principle of Autonomy)

③正義の原則(The Principle of Justice)

の3つの原則が用いられます(Beauchamp & Childress, 1994)。

ひとつずつ簡単に見てみましょう。

善行・無危害の原則とは介入によって対象者に利益を与えなければいけない。また介入を受けることによる危害を可能な限り最小化しなければいけないという原則です。この原則を遵守するためには、介入手法による利益と害が科学的に検証され、エビデンスとして蓄積されている必要があります。

 

自立尊重の原則とは個人の自由意志を尊重することを指します。臨床医学や臨床研究では一人ひとりに介入のリスクと予想される利益を説明し、同意を得てから介入を開始し、介入結果に関する個人データを取得します。しかし公衆衛生上の介入では対象者ひとりひとりに説明をして同意をとることは現実的ではありません。また、介入効果測定においても集団レベルの匿名データでは個別の同意は必要ではない場合が多いです。

また緊急時には前述のように個人による選択の自由が制限されることも多々あります。

そのため公衆衛生介入においては自立尊重の原則は必ずしも遵守されるわけではありませんが、個人の自由意志を尊重する姿勢が重要であるということは胸に刻んでおく必要があります。

 

正義の原則とは、介入が社会正義にかなったものであることを指します。

具体的には特定の集団だけが利益を享受することによって不公平を引き起こしていないか、介入による負担が特定の集団に集中していないかなどを検証する必要があります。

 

これらの3原則を守ることではじめて公衆衛生介入が正当化されると考えられます。


自由の尊重という観点から見た政策

 

個人の自由という文脈では公衆衛生介入は

①自由意志を尊重した介入

②中間的な介入

③強制的な介入

に分類出来ます。

①自由意志を尊重した介入は、健康教育のように個人の知識や判断力を向上させることにより健康行動を促します。何かを強制することなく、知識や判断力の範囲で最善の行動が取れるようにサポートするため個人の自由を尊重したアプローチであると言えるでしょう。

 

これとは対照的に③強制的な介入では、先程挙げたような例外事項に当てはまり、なおかつ緊急性の高い課題に対して選択されます。

例えばエボラウイルスの感染者を隔離する、自傷他害の恐れがある精神疾患患者を強制入院させる、と言ったことが含まれます。

当然このような措置は個人の自由を大きく制限することになるため、慎重になる必要があり、多くの場合には法的に適応が厳しく定められています。

 

②の中間な介入には、税金や補助金を利用してインセンティブを付けたり、このブログで取り上げているようなナッジのアプローチが含まれます。このような中間的な介入ではあくまで行動を最終決定するのは本人の意思であるため、どのような介入が許容されて、何が倫理的に問題となるのかということは明確に定義することが困難で、非常にあいまいです。

このような中間的な介入の中で、ナッジは経済的なインセンティブを大きく変えたり、何かを禁止したりすることなく人々の行動を特定の方向に導くものなので比較的自由を尊重したアプローチと考えられています。

 

これらの問題に対して近年では多くの科学者が取り組んでおり、次回の記事でいくつかの議論を紹介したいと思います。

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