健康信念モデルとは
前回の健康行動科学講座では行動科学における理論の意義と社会生態学モデルについて学びました。
今回は健康信念モデル(Health Belief Model:HBM)について見ていきましょう。
健康信念モデルは1950年代 健康行動科学の黎明期に米国の社会心理学者らによって考案された理論で、元々は結核のスクリーニングが上手くいっていない要因を探るために生み出されました。モデルの使い勝手が良く、現在も広く用いられています。ある個人がどのように行動に至るかを分析するためのツールであり、社会生態学モデルで言うところの個人内要因に重点をおいた理論といえます。個人の認知に主眼をおいているため、客観的な事実ではなく、当人がどのように物事を理解しているかということが重要になってきます。この理論は6つの構成要素から構成されているので、1つずつ説明しながら、コロナウイルス下での手洗い行動を題材に例を挙げてみたいと思います。
1.脆弱性に対する認知(Perceived Susceptibility)
これは自分がどのくらいその状態に陥りやすいかという認知を表します。
具体的にはコロナウイルスに自分が罹患する可能性はどのくらいあると感じるでしょうか?
普通に生活していれば感染することはない?すぐにでも感染する可能性がある?
と言った具合に、どのくらいの確率でその状態になるのかという認知を「認知された脆弱性」と言います。
2.重大性に対する認知(Perceived Severity)
これは自分が仮にある状態に陥った場合にどのくらい重篤な結果になるかという認知を表します。
例えばコロナウイルスのケースを考えてみると、コロナウイルスに感染した場合死んでしまう可能性が高いと認知している人もいれば、どうせ感染してもただの風邪と同じですぐに治るはずだと考えている人もいるはずです
すなわち認知された脆弱性と認知された重大性を掛け合わせることで個人が脅威をどのように認識しているのかを理解することができます。
例えば風邪のように脆弱性が高くても重大性が低い場合には行動変容は起きにくいかもしれませんが脆弱性と重大性が共に高い場合には行動変容へと進む可能性が高くなると考えられます。
3.利益に対する認知(Perceived Benefit)
ある行動を行うことでどれくらい脆弱性や重大性を小さく出来るかという認知を表します。
たとえばコロナウイルスへの感染を防ぐために手洗いが推奨されていますが、「手洗いをすれば感染のリスクを下げられる」と信じている人と、「手洗いなんかしても変わらない」と思っている人とその効果に対する認知は様々です。
当然手洗いの効果を信じている人ほど行動変容をしやすいと考えられます。
4.行動を取ることにかかる障壁に対する認知(Perceived Barriers)
ここでいう障壁とは金銭的コストに加えて物理的なコスト(時間)や心理的コスト(面倒くささ等)を含みます。
例えば手洗いをするにあたっては
石鹸が高い(金銭的コスト)
忙しくていちいち手洗いをしていられない(物理的コスト)
そもそも石鹸が量販店で売り切れており、入手できない(アクセスの問題)
といった障壁が考えられます。何度も繰り返しますが、実際にこれらの障壁が存在するかどうかではなく、個人が障害をどのように捉えているかが問題となります。
5.自己効力感(Self-efficacy)
あまり聞き馴染みのない言葉かもしれませんが自己効力感は健康行動科学の世界では頻繁に登場する用語です。
自己効力感はある特定の行動をとれる能力が自分にあるかという自信のことを言います。
例えば自分は食事の前に毎回欠かさず手洗いを出来ると思うか。と言った具合です。
6.行動を促す要因への暴露(Cue to Action)
これは個人が行動を促す要因にどれだけ暴露しているのかを表しています。
具体的には脆弱性や重大性に対する認識を変えるような症状の出現やメディアへの暴露、親しい人々の罹患、信頼している医療従事者からのアドバイスなどがこれに当たります。
コロナウイルスのケースで考えてみると、発熱の出現や身近な人の感染などがあるとより手洗い行動は促進されると思われます。
これら6つの要素の関係を表すと以下のような図になります。(図での表し方にはいくつかのバリエーションがあります。)
(ペンシルベニア州立大学HPを参考に作成:https://psu.pb.unizin.org/kines082/chapter/the-health-belief-model/)
行動分析への応用
前回の記事でも触れましたがこれらのモデルは行動分析や介入計画の立案に使う事が出来ます。
介入方法を立案するときには人々がどの段階で行動をためらっているのかを分析することになります。
分析には様々な方法が使われますが、例えば質問票を使った調査を行う際にこれらの要素に沿って質問を設定することでどの要因がネックになっているのかを推定することが出来ます。
設問例)
脆弱性に対する認知(Perceived Susceptibility)
→あなたが1ヶ月以内に新型コロナウイルスに感染する可能性はどのくらいあると思いますか?
重大性に対する認知(Perceived Severity)
→新型コロナウイルスに感染した場合あなたはどうなると思いますか?
利益に対する認知(Perceived Benefit)
→毎食前、手洗いをすることでどのような効果があると思いますか?
行動を取ることにかかる障壁に対する認知(Perceived Barriers)
→毎食前、手洗いをする上で障害になることがあれば教えて下さい。
自己効力感(Self-efficacy)
→毎食前、手洗いを出来るという自信がどのくらいありますか?
行動を促す要因への暴露(Cue to Action)
→選択肢のうち、この1週間で新型コロナウイルスに関する情報をどこで入手しましたか?
行動介入計画への応用
これらの設問でネックとなった要素を踏まえて、介入アプローチを検討していきます。
脆弱性に対する認知(Perceived Susceptibility)、重大性に対する認知(Perceived Severity)
- 自身のリスクに関する情報を提供する(脆弱性や重大性について)
- フレーミングを利用し、リスク認知をサポートする。
利益に対する認知(Perceived Benefit)
- どのような行動が有効でどのようなポジティブな結果が予想されるのかを伝える。
行動を取ることにかかる障壁に対する認知(Perceived Barriers)
- インセンティブを提供する。
- 物理的なサポート(必要物資の提供など)を与える。
行動を促す要因への暴露(Cue to Action)
- 行動デザインで行動を誘導をする。
- リマインダーを提供する。
- インフルエンサーによる情報提供をする。
自己効力感(Self-efficacy)
- 段階的な目標設定をする。
- 褒めることによる強化する。
- スキルの獲得を援助する。
- 望ましい行動を見せる。
- ロールプレイの機会を与える。
- 周囲が取り組んでいるという社会的規範を刺激する。
同定された問題点に応じて適切な戦略を使い、具体的なプログラムへと落とし込んでいくことが可能となります。
こういったプロセス自体は、理論を使わずとも可能かもしれませんが、理論を用いることにより網羅的に行動を分析し、より適切な答えにたどり着ける可能性が高くなります。
こういった理論がこの後の時代にも次々と考案され、健康行動科学者達によって用いられてきました。
次回以降もプログラムの立案に役立つ理論を紹介して行きたいと思います。
参考資料
- ペンシルベニア州立大学
- 一目でわかるヘルスプロモーション-理論と実践ガイドブック 国立保健医療科学院
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